エクアドル編

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①新たな旅へ

マイヤミ空港から南米エクアドルへ。
機中で1年間のアメリカ生活を思い出していた。英語はサッパリ駄目だったが、
世界中の沢山の人間との出会いと別れを繰り返していくうちに色んな事を凝縮して経験出来たと思う。
文化や考え方はそれぞれの民族や国籍により違う、しかし、物事の原理原則は世界中で共通していた。
礼儀正しく、親切な日本人は別格で世界中の人達から信頼されていた。
もっともっと深く日本人としての立場を考えるようになっていった。

しかし、たまに馬鹿な日本人が、
違う民族や国籍の人達を下に見る事があった。そういった人達の態度の変化は
俺の「人を見抜く物差し」になっていった。
器が小さい人間や
知性がない人間は
間違いなくそういう人間が多かった。
だから、俺はどんな人間も尊重して、相手のバックグランドよって態度を変えない。
そして、
彼女の母親に言われた事を思い出していた。人として完全に拒絶された事が
深い傷として、残ってしまっていた。
しかし、その絶望の中で
自分は無力で何者でもない全くの無価値。
自分の価値を早いうちに教えてもらった事には感謝していた。
でもここが本当のスタート。
「0から1を足していく。」
全ては自分の価値を知った上で少しずつ積み上げて行く事。
不安99%、希望1%のエクアドル行きだった。
21歳も終わろうとしていた。

回想から醒め
隣を見るとおばちゃんが深刻な顔をして神に祈っている。
よく見てみると殆どの乗客が祈っている。
突然、着陸体制に入った後、
ブレーキの衝撃。
着地!
乗客、拍手喝采!
隣のおばちゃんは安堵の表情を浮かべて十字をきって神に感謝している。
「ジーザス!」
安全に着陸したのは奇跡だったのか?!
迎えに来てくれた伯父が
あれ、この前墜落した飛行機の残骸なんだ。と
半年前に着地に失敗したボーイングの残骸を見ながら
だから皆、着陸に緊張してたのか。。
それにしても何で半年も放置してるんだろうか。。と思いながらも
「死」がいつも間近にある生活の中で
そんな些細な事はどうでも良くなっていった。

②サッカーの毎日

伯父が住んでいる町、マンタはガラパゴス諸島まで飛行機で1時間位の小さな港町。
その当時は殺伐としていて毎晩、銃声がなっていた。
沢山のカップルがいちゃついてる風景を横目で見ながらの日課の夕方の浜辺のランニングも夜になる前にダッシュで帰らないといけない、夜は危なくて絶対に出歩けない自由がない生活にも中々慣れずにいた。
(マフィアになるってやるという覚悟もとっくに消し飛んでいた。笑)
そんな時、
プロサッカーチームのオーナーだった伯父を頼って2人のサッカー選手がやってきた。
1人はベルディ川崎でサテライトとしてやってた子で、もう1人は首都キトで生まれた日本人サッカー選手だった。
2人共、貧乏で常に飢えていて
マクドナルドを奢ってあげたら本物に美味しそうに食べ、今度はお礼にと、
ハエがたかっている汚い屋台で食べさせてもらったスープカレーが物凄く美味しくて感動したのを憶えている。どの国もそうだが貧しい国ほど現地人が食べている食事は美味しい。何故なら、本当にお金がないのに、お金を出してまで食べるものだから。

彼らと毎日の様にビーチサッカーを現地人とやっていて
(アメリカで国対抗のサッカーをやっている時、アルゼンチンの友人からお前はキングオブサッカーだ、でもプレーが危な過ぎて学校中のアラブ人がお前を狙っているぞ!と言われていた。)
腹を空かしたセミプロ2人と
キングオブサッカーの1人が組んだチームが負けるはずがなかった。

そんな中
ヴェルディのサテライトの方が鮮烈なデビューを果たした。
遂に、エクアドルリーグ初の日本人プロが誕生した瞬間だった!
彼は活躍し、次の日からモテにモテた。
町を歩いていても誰かれとなく声がかかり
英雄扱いされる。
報酬が発生し、確か月額1万円位(笑)
飢えていた事には変わりがなかったがスターになったのは間違いない。

その後、彼はコロンビアに渡り、街を歩いている時に身ぐるみ剥がされて本当の一文無しになったと聞いた。(笑)
噂では日本のリーグにまだいるが、それ以降は連絡をとっていない。

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③伯父

毎日、伯父と話しました。
伯父は20代の頃、
世界一周してエクアドルにたどり着き
パン屋から初めて鮪船のオーナーになり、海外でプロサッカーチームのオーナーにまで日本人で初めてなった人。
30数年前に世界一周して0から見知らぬ土地で全てを築いて来ただけあってめちゃくちゃ変人。

どの位変人か。
伯父の家に住んで間もない頃、
町はずれの広大な砂漠地帯に連れていかれた。
ここ買ったんだよっ、て
その土地の一画に子供が作る秘密基地みたいな日本庭園を作っていて
「何度木を植えても枯れるんだよ、どうしたらいいと思う?」
と真顔で聞いてくる。
。。。
答えは一つ。
砂漠なんだから無理なんじゃない?
そして
「この前、現地人が勝手に俺の土地に入り鹿狩りしててよ、ムカつくから鉄柵張ろうと思うんだよ、どう思う?」
えっ?
価値のない砂漠に柵張っていくら金かけるんですか?!て
大体、ここ砂漠じゃん、誰も伯父の土地とわからないでしょう!
それでもどうしても柵張るんならダチョウでも養殖したらどう?
って言ったら
「お前は天才だっ!俺も同じ事を考えてたっ!」って
そんな会話が毎日続く。
そんな伯父から最初に言われた事は

①「こっちの奴と喧嘩すんな!後ろから撃たれるから!」
②「飲食店では窓際に座るな!連射されたら死ぬから!」
③「相手がどんな奴か観察して早く見抜けっ!」。

ってまるでゴルゴ13!

伯父が南米で生き残れたのは
「臆病だから。」
だから臆病な事は恥ずかしい事ではなく生き残るのには必要だという事。

私の事が心配な伯父は片時も離れず、ずっとそういう話を毎日してました。
伯父は
敷地の幅が50メートルのプール付きの高級住宅街に住んでいました。
普通そんな家にはガードマンがいます
しかし、叔父はガードマンが一番信用出来ない、強盗と組んで内側から鍵を空けると、ドーベルマンと住んでいました。(笑)
世界中に散らばる6人いる子供達の学費に月額数100万円払っていたみたいなのでそこそこのお金持ちだったんでしょう。

お金を貯めるコツを話してくれました。
まず100万円貯めろ、そして101万円になったら1万は使っていい。
と言われました。
様は
「目標を数値化して達成せよ。」
という事。

そんな伯父が尊敬している
エクアドルで一番成功している日本人の内田氏にようやく1000万貯めました。と伯父が話した時
「あんたはそんなレベルじゃない1億円貸すからそれで事業を拡大しなさい。」
と言われたそうです。
その当時の1億円は10億円。
「信用はその人の過去の生き様。」
内田氏は伯父が信頼に値する人間だと見抜いてたんでしょう。
自分の価値を高く評価して貰った伯父はそこから奮起して益々頑張れたと言っていました。

伯父はお金の稼ぎ方も教えてくれました。
マグロ船で、釣れる船と釣れない船があるのかわかるか?
釣れる船の船頭は24時間マグロの事を考えている。
釣れない船の船頭は1日23時間だ。
この1時間が1年なら365時間
だから必ず
時間×30日×12カ月
にせよ。
その少しの微差が年数を重ねると物凄く大きくなる。
それこそが
「努力する。」
という意味だと理解しました。

伯父はこんな事も話しました。
「死に場所がわからない。」
国籍は日本のままの伯父に
何故エクアドル人に変えないのか?
と言った自分の愚問でした。
伯父は日本人でいる事を誇りに思い
出来たら日本人として日本で死にたいと思っていたのかも知れません。
そこにはもうどうしょうもならない
寂しさがありました。
そして
海外生活も2年にもたとうとしていました。
俺はこの先どうなるんだろう。。
ともっと自分の人生を真剣に考える様になっていきました。
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④出会い。

内田さん。
エクアドルに単身渡り、
そこで商社を作って事業で大成功された内田さん夫妻に首都、キトで会いました。
そう、伯父に一億円を貸すと言った人 です。
特に奥さんは、
圧倒的オーラとエネルギーに溢れていました。近くにいるだけで、涙が出てくる様な
感覚。あんな人は未だに会った事がない。
見知らぬ土地に単身、日本から来て成功する事がどれだけ凄い事なのか、、。
でも何故、彼等が成功したのかが、なんとなく分かった様な気がしました。
芯がしっかりしていて、ブレない。
近くにいたら、まるで大木の側にいる様な安心感。
明らかに普通の人間ではなかった。
俺は内田さんにアメリカの大学に行き、
色んな事を学んで是非ここに住んで欲しいと言われました。
本当に迷いましたが、その時は決断出来ませんでした。
もし内田さんにもっと学び従事していたら、全く違う人生だったと思う。

マリアーノ氏
伯父の家の隣の豪邸に住んでいる
マリアーノ氏は伯父の親友で
彼も0から成功された富豪中の富豪でした。その時は政治家であり、石油の利権等を持っていると聞きました。
マリアーノ氏は伯父がパン屋をしていた時に、そこで働いていたそうです。
伯父に何で彼は成功したんですか?
と聞いたところ、

「運がめちゃくちゃ強い。」

確かに、何にでも興味を示し、愛嬌があり、いつもニコニコしている彼は運を引き寄せている様に感じました。
でも彼の会社に行くとショットガンを持った警備が社員の数と同等にいる。
しかも、誰も信用出来ないと、社員の殆どは一族で占められている。
この国では成功するのも命掛け、
成功した人間の一族も命掛け、
どちらにせよ大変だなと感じました。

S氏
コロンビアに住んでいるS氏は
人が良さそうな日本人のおじさんでした。
ある日、彼はエメラルドを伯父に買って貰う為に事務所に来ていました。
S氏は紳士に見え優しくて、食事とかに連れていってくれました。

これは、聞いた話です
S氏は日本への麻薬の密輸で捕まりました。
末端価格数10億円、今までの日本への密輸での最高金額。推測ですが、マフィアに利用されたんでしょう。
「優しさ」や「人の好さ」は海外では致命傷になりかねない。
何故なら 「弱さと」表裏一体だから。
特に海外やビジネスの場面では「弱さ」を悟られたら終わりだということが分かりました。

 

⑤生きていく場所がわからない。

南米は明るく陽気なイメージがある
でも俺はそれは上部だけだと感じた
貧困や悲しみから忘れる為の行為。
とにかく刹那的。いつもの様に伯父の事務所に行くと
可愛がっていた犬がいない。
社員のカルメンに聞いたら
昨日の夜、強盗から殺された。
と平然としている。次の日には近所のスーパーマーケットに強盗が入り銃撃戦が行われている。停泊しているマグロ船で海を眺めていると、小型ボートに乗った女達が
何往復か他の船を行き来しついる。
あれは何だ?って聞いたら売春婦だ。
と1ドルだ。って
えっ100円。。
因みにお前は日本人だから
多分150円。。

段々感覚が麻痺していく。

そして、「生きている意味」を益々深く考える様になっていった。
伯父が
片時も離れず 俺を側に置いたもっと深い事情が分かった気がした
その町で
有名な伯父の甥の、俺は
一番誘拐されやすい人間だったと思う。
マフィアもギャングも金の為なら500ドルで人殺しさえする。それに誘拐でもされたら両親始め沢山の人達に迷惑がかかる
ここに住むにはまだ無理だまだここでは生きていけない
長い海外での生活で心身共に疲れ切っていた。
一度、日本に帰ろう

そして帰国する事に決めた。

もう海外生活は2年過ぎようとしていた。

 

従妹達とガラパゴスで

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