インドネシア編

今の自分があるのは
21
歳の時、インドネシアで体験した事がベースになっている。
遠い昔の出来事。
35
ページのレポートを元に短編に書き直しました。

Kentaro Books Map


※アンボン島
ジャカルタから飛行機で6時間、会社の本拠地がある島


※バンダ島
アンボンからセスナで2時間。
自分が住んでいた島です。

 


①「覚悟」
東ティモールの諸島の真上
アンボン島からバンダ島への出港の日
その日は嵐だった。
ただの木の塊みたいな
運搬船(トバジャヤ)の操縦席。
船員達が航海の無事を願い甲板でロウソクを取り囲みキリスト教の祈りをあげている。
船のあちこちから数百匹はいるであろうゴキブリの触覚が蠢きこれまでの人生とこれからの人生を考えていた。
これまでクズの様な大学生活に本当に嫌気がさしていた。
高校時代全てを捧げたラグビーで腰を痛め
「努力しても夢は叶わない。」
もう生きていく事に対しても無気力。
痛みや不安で夜もまともに眠れない。
よじれきった性格で友達も出来ず、夢も希望もない。
そんな21歳の夏
帰省中だったエクアドルの叔父に静岡、宮崎の冷凍会社社長がビジネスの件で会いに来た際、
「インドネシアで新事業をやるから来ないか?」と言われた。
一刻も早くこんな最低な生活を終わらせたかったので
「連れて行って下さい」と即答した。

「このボロ船大丈夫か?」
「もしかしたら死ぬかもな」
もし沈没したら
鮫に食われながらじわりじわりと死んでいくのか。。
または運よく無人島にたどり着いてサバイバル生活か
相変わらずのネガティブ思考が支配していく。
あ~面倒だ!もうどうでもいい!
決めた。
ここで一度死のう。

そして全てやり直そう
今日からは
「いつ死んでもいい生き方をしょう」
腹が決まった。
その瞬間から
「未来」
が書き換えられた様な気がする。
そして
そんなレベルの覚悟は日常茶飯事。
島での地獄の日々が待っているとも知らずに出港した。

 

②「日本人は世界ブランド」

朝、ようやくバンダ島が見えた。
1万人程の島民の殆どはイスラム教徒で自然に囲まれた完全な珊瑚の楽園。
島での仕事はマグロを釣って日本に輸出する為の200人程の船員の管理。
島民達との仕事は想像を絶した。

本来、外来種である俺は彼等のやり方に従うべき。
でも俺には耐えられなかった。
年齢という概念さえない彼等は
時間を守るという当たり前の事や約束を守るという考えはない、というか仕事をしないといけないという考えさえない。

そもそもお金が必要ない、魚食べてタロ芋を食べている、競争もない。もう意味がわからない!

毎日、ブラブラと散歩している。
物凄く考えた。
「日本人って?」
「俺は何でここにいる?」
「俺の価値はなんだ?」
彼等と俺は何が違う?
何で俺は彼等の20倍給与があるんだ!
出した答えは
彼等のリーダーになって導く事
そして後に彼等の中からリーダーを作り出す事だと、
日本人としてのプライドを絶対に忘れてはいけない。
「俺は日本人だ!」
そして、
忘れてはいけないのは彼等を絶対に尊重する事。
何故なら彼等は下に見られていると感じとると絶対に心を開かない。
しかし!何度言っても言う通りにやってくれない。

言う事を聞かない。
1000回言う覚悟。
「物凄い忍耐」が必要。
「郷に入っては郷に従え」を守りつつ、だけど「信念」だけは絶対にブレてはいけない。

「日本人としての価値」を深く考える事が出来た。

2014-Banda1
 

③「華僑から学ぶ」

中国から世界中へ渡って長い年月をかけて移住した人々が
「華僑」
そもそも中国人=華僑ではないと思う。

レベルが違う。
運搬船を借りる為にレンタル料を聞いたら月100万円。
高すぎると勿論、交渉決裂。
他の会社行ったら全社100万円。

完全になめていた。

華僑は余り大きな組織は作らないがネットワークは凄まじい。
金儲けの為なら何でもしてくる。
そもそも日本人とは金に対する執着心が違う。
でも事業で大成功したらその金を仲間に分け与える。
仲間を助ける事で成功者が
「メンツ」を保つ。
そして結束力をつけていく。
だから小さい組織のネットワークが連結して攻撃してくる。
祖国を捨てて
海外でサバイバルして生き残った民族の子孫達にパッと来た平和ボケした日本人が叶うはずはない。
全部ムシりとられる。
全て理に適った知恵を持つ「華僑」
を本当に尊敬する。
海外で事業をする為には
「華僑そのもの」

を理解する事が絶対必要。

 


④「サバイバルとは食べる事」

海外で生きていく為の技術を教えてくれた最初で最後の師匠
章一さんより

「この国では地位、名誉、年令、性別関係なく食べれる時に先に食え。」

最初の教えでした。
食事は毎日が地獄。
腐ったタイ米に魚と野菜スープ
まさに残飯。
訳のわからない鰹の発酵したモノや珊瑚の卵を食べさせられる。
衛生面が云々とかのレベルじゃない。
もうどうでもいい。
毎朝、白いご飯が夢にでて来る。
お腹を空かして目が覚める
他の島で海亀が食べられると聞き
食べに行くが不漁でとれないと聞く
変わりに海蛇は食えないのかと
思うが、噛まれたら終わり、流石に無理だ。
山羊を捕まえて食べてやろう。
ともう1日中食べる事ばかり考えてる
水の味も毎回違う。
毎日腹を下す。
全ての栄養を含むバナナやパパイヤが如何に重要な食物か身をもって実感する。

たまにマンゴーを知らずに食べてアレルギーで死にかける()
病気は3週間に一度。訳がわからない風土病や高熱。
医者はいないので唐辛子を無理に飲み込み体温をあげる。
今まで病気した時の経験をフルに思いだし症状を分析して考える。
優しい島民が薬草をくれる。
でも栄養不足とストレスと不衛生な環境で次から次へと病気になる。
正直、苦しい思いでしかないあの島で
章一さんの言葉を覚えてる。
流石に今は食い物には困らないから


チャンスと思った時は人の事など関係ない持てる全てのエネルギーをかけて全力でもぎ取りにいく。」
事業の原点の考えだ。

 S__5611522

 

⑤「女性の力」
「監獄」と呼ばれた最果ての楽園に日本から平和ボケした女性社員がやって来た。
何故か山の様にカロリーメイトとティッシュペーパーを持って。。。
(
イスラムではトイレは水で洗う。)

「食料がないと聞いたから。」
という彼女に
「このオタンコナス!調味料か抗生物質を持ってこいよ。」
と内心思いながら
たった一人で孤独に生活していた俺は美人の彼女に大いに優しくした。

しかし。。
元々彼女は日本語教師。
余りにも良くしゃべる彼女に嫌気がさし避けるようになったら
なんとインドネシア語で島民と話しだした。しかもたった3日で
大量のカロリーメイトを食べたのは初日だけ。くそ不味い現地食をちゃんと食べている。

1週間後には普通に馴染んで「私ここに住もうかな~」と言っている。
女の生命力の強さを知った。

首都ジャカルタには
エンジェリーナ
通称(エンジェル)という顔は可愛いが気が強くエンジェルとはとても呼べない女性がいた。
日本語、英語、インドネシア語、中国語を話し頭が切れ物事をはっきり言う。

そういう階級は
会社のお茶汲みや雑用は絶対にしない。
大体、女性は信用度が桁違いに高い。
会社を動かすのは女性。
発展途上国では数%の男を除いて男は全く使い物にならない。
「信頼出来るのは女性。」

「最後に生き残るのも女性。」

 

⑥「言葉の学び方」
移住、3ヶ月目の夜。ジャカルタから来ていた大学生の女の子と仲良くなり散歩していた。
翌朝いつも世話してくれてた船員ウディンの奥さんから
「あなたが若い女の子とイチャイチャとデートするのを望まない。」と茶化し顔で言われた。

「じゃあ、あなたが俺とデートする?」ってええ?!

単語が一区切りづつスラッシュを切ってまるでパズルを組み立てるみたいに頭に入ってくる。俺は理解してる!!

しかもインドネシア語で切り返してる。

その日からインドネシア語で夢を見る様になり側近のサバールさんと片言で話すうちに日常会話が出来る様になったと思っていた。が!!

ジャカルタ(首都)に行った時に
調子にのって覚えたインドネシア語で話しても誰も理解出来ない。。
余りに酷い鈍りと現地語が混ざった
もう生涯二度と使わないであろう
バンダ海域含むマルク地方の言葉を必死に覚えていた(-.-)oh my god!
言葉を勉強するのに気を付ける事。

それは言葉を学ぶ地域を真剣に考える事。

 
⑦「洞察力を磨く」

バンダ島。
ある日、散歩してるとオカマっぽい男子が近寄って来た。
島の観光案内をしてやるから今日の夜迎えに来ると強引に言われた。
まぁ暇だしいいか
あいつ怪しいけど頭良さそうだし
族長の息子も来るというし
と楽観していた。

島の観光っと言っても歩いて1時間位で主要な場所は行ける。
ある程度散歩してさぁ帰ろうか
という時、とっておきの場所があると言われ数百年前の砲台がある要塞後に連れて行かれた。
昔オランダの植民地だったみたいでその当時の名残みたい
島全体が見えて、ここいい場所じゃん
と2人を見たら。。。

げげっ

「やってる。。。」
しかも手招きしてくる。
見えない振りして終わるのを待つ。
一人で帰ろうとしたが
ここが何処かわからない。
終れば何事もなかったかの様に無事
帰してくれた。
男らしい族長の息子もかよ。。
本当にわからなかった。
後で知ったが
島では本当に何もない、女性も少ない、宗教で抑えられている。だからそんなに不自然な行為ではないらしい。
相手の表情や行動を見る。
相手側からいい話を誘ってきたりやけに親切にしてくれたり


直観というか、違和感を感じれば絶対に何かある、気を付ける事。

 


⑧「妄想するという事」

島で一番耐えられなかった事は
「とにかく何もない事」
勿論、テレビや本などの娯楽用品は全くない。
散歩するだけで島民達から監視されている様に感じる。
もう何をするのにもウンザリ。
住居
の目の前は珊瑚礁だが
何の変化のない海を毎日見ていると気が狂いそうになる。
庭先の小さな池で5匹の海亀を飼っていてガチャガチャとうるさい。
スティ先の主人が何かムカつく奴なので海に放したいが怒られると面倒なのでやめる。
たまにヤモリに名前をつける。

セスナの滑走路が近くにあり
夜中こっそり滑走路で寝転ぶ。
星がめちゃくちゃ綺麗で近い。
島民は視力が5.0なので夜間でも発見される。暗闇の中、何処から呼ばれてるのかも見当もつかない。
何処に行っても一人になれない。
段々、無気力になり何となくこのまま
ではヤバイと。

頭の中で文章を書く。
次から次からへと文章が羅列して妄想する中で遊ぶ。
その癖はビジネスする上で非常に重要になっていった。
どんどん

「妄想が現実化してる。」

 
⑨「真ん中を陣取る」

バンダ島
デンマーク人が運搬船に乗り込んできた。
アンボン島までのセスナが週2便。しかもいきなりの欠航でどうしてもアンボンに帰りたいから乗せてくれっという
いうか勝手に乗り込んできた。

最初はいい奴だったんだけど酒を飲みだしたら段々態度が横柄になってきた。
船員をまるでメイドの様に扱いだす始末。
機関長のネロを呼び
「お前どう思う?」
って聞いたら顔をしかめたので
「海に落とせよ。」
って言ったら
「殺せって事か?。。」
って
(
頭を冷やさせろって意味で言いましたんですけど。。)
真夜中の船の上で誰にも気付かれずに
落ちたら間違いなく死ぬ。
何の証拠も残らない。
自分もいつ落とされるかわからない。
だから絶対に船員サイドにつかないといけない。
けど誰も信用出来ない。
だから船の中心に陣取り色んな状況に備える。
そして俺は何があってもお前たちの味方だぞっていう事を行動で示す。
結局は全員で無視を決め込み早朝アンボン島の港についた。

勿論、
デンマーク人はほっておいた。
礼も言わない無礼な奴等。
自分を守る為に仲間を作り
仲間からなめられない様に虚勢をはる。

何かそういう感じだったと思う。

 


⑩「殆どの事は金で解決する」

「この国では地位、名誉、職業関係なく殆ど全ての問題が金で解決する。」
数ヵ月過ぎた頃。
章一さんが突然名言を放った!
何処で何をするのにも賄賂を要求され心身共に参っていたと思う。
こういう話は沢山ありますが3話だけ書きます。

1、
アンボンの住まいで寝ていると
警察がいきなり家宅捜索だといいリビングに入ってきた。
聞き耳をたててるとどうやら日本から来たばかりの水産会社の部長達と警察とが揉み合いになっている。
誰もインドネシア語を話せない。
しょうがねぇな~助けてやっかな
と部屋を出た瞬間俺も連行された。

えっ俺もか!?

結局全員連行され警察署へ
部長達が取調を受けている中。
海外の警察署を見る機会もないので
ポーカーで遊んでる刑事達に愛想を振り撒きながら
「何も知らない健気な少年の振り」
をして犯罪者等のファイルを拝見したり警察署をくまなく観察する。
※こういう事態では
「健気な少年のふり」か
「狂ってる人」
の振りをするのが鉄則。

結局。5万円程の賄賂で解決。
(
彼等の月給は1万円位。)
容疑は取って付けたような
不法滞在。
その金はポーカーに消えていく。
まぁ金を取れれば容疑はなんでもいい。
警官は絶対に信用してはいけない。
でも面倒なので仲良くしないといけない。
釈放された後、部長と三輪自動車で風をきってアンボンの町を走る
2ヶ月ぶりに肉を食べる。
なんかわかんないけど釈放されたあの日が一番清々しい日だった。

2、
(
少しいい話)
バリ島に
大手グループ会社の旅行に家族も同行する事になりその時だけは休みを頂いて行かせて貰った。
アンボン空港カウンターで
「お前のチケットは無効だ。」
また?って言うかもう慣れてる。
まともなパソコンもない上に誰か大物が割り込めば席は無くなる。

即、次の行動

どうやって入ったのか記憶がないのだが空港事務所に乗り込んだ。
数10人のスタッフがいる部屋で大声出して
「お金なら払います!どうしてもバリに行かないと行けない!家族の一人が病気で死にかけてるんだ!」と
ウソ泣きしながら叫んだ!(-.-)

後ろから偉そうな人が出てきて
「わかった!わかったから俺が何とかしてやるよ」
と言って無事搭乗出来た。
インドネシア人は基本皆優しい。
その時はお金は必要なかった。
無事、バリに着きハイエナみたいに変わり果てた俺に皆気遣ってくれた。
久々のまともな栄養と睡眠。
そして
幼少の頃から知り合いだった義兄と姉はそのバリ旅行で再開してその後、結婚した。

3、
帰国する為に税関を通る際、
見つかった。結局俺も不法滞在。。
職員に個室に連行される。
職員が
「一万円で助けてあげる。」
またカネ。いつもカネ。
頭に血が上ってる。
もう「狂ってる人」のふりは通用しない。
て言うかこういう生活にもう本当におかしくなる寸前。
彼等は搭乗時間になったら必ず根負けして支払うのを知っているので
ニヤニヤしながら余裕の表情。
「ルピアしか持ってない!」
殆ど価値のない大量の札束をテーブルに投げつける。
絶対に円は払いたくない!
屈したくない!
結局70枚位のルピア紙幣1万円分を投げつける。
税関を出る瞬間。
出たらこっちのもん
捕まえた職員に「ペッペッ!」と
ツバをかけ
「バカ野郎!」と罵声を浴びせる。

やってる行為はまともな人間ではない。もうめちゃくちゃでグチャグチャ
人の弱味につけ込んで金を要求してくる大人達に嫌気が差し神経がすり減っていった。

現金は常に携帯する。
そして本来は空港職員や警察等、権力を持った人達にばら蒔く。
そうやっていざと言う時の布石を打ち味方を増やしていく。
金は砂に水をまく様に無くなっていく。殆どの事は賄賂で解決する。
問題は幾らをいつ渡すのか。
「いつの間にか彼等の手のひらの中で踊らされている。どんどんムシリ取られ気付いたら何も残らない。

そして殆どが金で解決し人間的に腐っていく。
支配されない為には
「権力者と完璧な信頼関係」を気付くしかない。

写真は連行される前の幸せそうな
部長と俺()

indonesia_photo03

 

 ⑪「ケンカの仕方」

イスラム社会では「金持ち」は「貧しい人に」施すのが当たり前。
逆手にとれば「金持ち日本人」からはいくらぼったくっても問題ない。
全ての価格帯が10倍高い。
毎日ケンカ。三輪車(タクシー)に乗った10円高い。またケンカ。
なめられてるみたいで
もうバナナも買えない。
10
円ボラれるのが嫌で20円出してメイドさんに買いに行ってもらう。
買い物もしたくないのでどっかの家のパパイヤを拝借する。
パパイヤは熟れないと食えない事を知らず全く食えない。

一度、食卓にエビが出てきて
「美味しい!」って言ったら一週間毎日エビのボイル。
「いい加減にしてくれ!」って言ったら永遠にムロアジのフライ。
たまたま市場でカレー粉を発見しマグロの腸でカレーを作ってみた。
げぇ~~。
期限をみたら3年位切れてる。
もうケンカをする気にもなれない。
もうクタクタに疲れた。
答えは出ないね

 

⑫「裏切られる方が悪いと思えば何の問題でもない」

運搬船(トバジャヤ)
アンボンからバンダに出港した。
出港から15分エンジン停止。
船長に事情を聞くと
「燃料が切れた。。。」
「。。。?」
燃料が切れただと?
15
分で切れるわけねぇだろう。
船長以下全員が結託して燃料を横流ししていると推測。
こういう事態では必ず味方をつけないといけないが
何故か機関長のネロは見当たらない。
船長をもう一度呼び
白旗を作らせ助けを求める。
(
全てが余りにも間抜け過ぎて失笑。 )
たまたま通りかかったボートに拾われ船長を人質にとり二人で帰港する。
後の奴等はもう知らない。
その足で指示を仰ごうと会社に戻るが章一さんも忙しそうで聞く耳持たず。。
その日の夕方
「あれ健太郎くんバンダに行ったんじゃなかったのかな?」
この人っていったい。。。
事情を話すと
「そりゃ大変だ!行ってみようぜ」
と章一さん。(-.-)

港に行くと遥か200㍍先にトバジャヤはプカプカと浮いてる。
呆れるを通り越して唖然としてしまう。
もうアイツら本当に馬鹿だ。
朝から夕方まで何もせずに海に浮いてやがる!
こんなのは日時茶飯事。
当然起こる事態
燃料を抜いた犯人もわからずじまい。
全ては安全をきちんと確認しなかった自分の責任。

「やられた方が悪いと思えば何とも思わない。」



⑬「漁師にはなれない」

島の生活にも段々慣れてきたある日。
漁師とマグロ釣りに行った。
狂いそうな炎天下の中
8㍍位のボートではるか彼方のイルカのせびれを探す。
マグロはイルカと一緒に泳いでいるので群れを先回りしてムロアジを投げたら大体釣れる。
イルカは賢いので絶対にかからない。
竿とかはなくただのテグスと針にエサを着けるだけ、マグロがかかったら一気に引き込まれる。
指が焼き切れそうになるからどうしても腕に巻こうとするが
この「バカ!死ぬぞ!」と
漁師に怒られる。
もし絡まって落ちたら一気に海の中に引きづりこまれて間違いなく死んでしまう。
50キロのを2匹釣り
もう絶対に船にも乗りたくないし
魚釣りもしたくない。
恐怖と痛みしかない。
「仕事とは好きな事ではない。」
あれ以来、大好きだった釣りはやめた。

可愛がってたハッサンと
indonesia_photo05 indonesia_photo04

indonesia_photo02


⑭「死なない程度に冒険してみる」
突然何を思ったのか
バンダ島の裏側に行ってみたいという衝動にかられた。
バナナとコーラと水500mlを持って歩く事
2時間。
今まで見た事もない様な
物凄い綺麗なビーチに出た。
30
分程、誰もいないビーチで海を眺めていると、どんどん虚しくなり
「日本に帰りたい。」
というセンチメンタルな思いが込み上げてくる。
取り敢えずもうスティ先に帰ろう。
もと来た道を歩こうとしたが道がわからない。(っていうか道なんかない。)
自分には「方向感覚がない」
という事実をすっかり忘れていた。

その時点で昼だったと思う。
バナナを食べ水を飲む。
コーラは貴重なので飲まない。
なるべく体力を使わない為に
日差しに当たらない様に気を付ける。
歩く事2時間
「ここは何処!?」全く違う場所。
そして我慢して何となく歩く。
2時間、
ヤバイヤバイ。
頭の中で警鐘がなる
後もう少しで脱水症状になる
もしこんなジャングルで倒れたら死んでしまう。
ふっと
小学生の時に幼馴染みの古賀と読みあさった「サバイバル読本」
という本の内容を思い出す。
「水がない時は茎を食え。」
そうだ多分そんな事が書いてあった!
そして茎を食べ葉っぱを食べながら

歩く事2時間
もう限界
コーラを飲む
血糖値が一気に上がり元気になる。
まるで起爆剤!
そして数時間後、
日が暮れる寸前でようやくついた。
毎日まともに栄養とってないうえに朝から夕方まで亜熱帯を歩き続けてよく生きて帰れた。

気がおかしくなる程の孤独」や
「死ぬ直前のその上ギリギリのライン」

を何度も経験してるとそのうち不死身になるんじゃないのかな。()

 

⑮「チャレンジの果てに」
ビジネスにおいて
チャレンジしても殆どは失敗する。
最初は夢を追いかけてやるんだけど
夢が叶ったと思った瞬間失速したり
ゴールが見えなくなり自分の能力を越えすぎてたり。。
それに儲かる事業なんて大概誰かがやっている。歴史や事例を見たら失敗する原因がある。
海外が何故よかったのか?
要は誰もやっていないから

「ブルーオーシャン」って言うらしいがライバルがいない所でやれば成功の確率は上がる。

インドネシアでの事業は
バンダ島に沢山のマグロがいて
それを手釣りで釣って
生のまま日本に空輸して
日本に倍額で売る
という
そこまでは良かった。
しかし実際は
中々マグロは釣れず
島民は働かず
運搬船は故障して
資金はどんどん無くなり
挙げ句は輸出の為の飛行機さえまともに飛ばない。
成功する未来しか見えていないのは
大変危険じゃないか
殆ど失敗するんだから
「小出しに失敗を繰り返して少しずつ学んでいく。」
その為に最速で行動しチャレンジを繰り返し、そして成功する確率を高める為に経験と学習を重ねていく。
それ以外に方法は無い様な気がする。

 


⑯「弟子と師匠」

日本で最初に章一さんに出会った時に衝撃が走った。
インチキ中国人みたな風貌だけど言ってる事が的確で的がずれていない。
ただ純粋に「この人といたい。」
と思って付いて行った。
交渉事から酒の相手まで一緒にいれる間は飼い犬みたいに付いて回った。
とにかく
章一さんが居心地がいいと思える状態になってもらう為に生きた。
ある日、二人で「コレコレ」てっ
呼ばれるカヌーで運搬船まで行く最中に言われた。
「俺の相棒はお前でいい。」
「で」は少し気になるところだが()
初めて人に認められた。
何か嬉しくて涙が出てくる。
その日から自分の為は勿論なんだけど

「人の為にも生きよう。」
って考えるようになった。

師匠は弟子に教える事で、分かっていたつもりだった事が完全に自分のモノになり、

弟子は師匠に仕える事で、人の事を考える様になり本物に近づいていく。

俺の生涯に師匠はあの人一人
有り難うございました。
 

章一さんと漁師
indonesia_photo01

 

⑰「日本人として生まれて」
首都ジャカルタ。
その当時のジャカルタは凄い勢いで高層ビルがたち排気ガスで呼吸もまともに出来ない。
スラムとビルが混在し貧富が物凄い勢いで分かれていっていた。
スラム街を車で通った時の事。
信号で待っている時に乞食の子供達が小銭をたかりに来る。
皆虚ろな目をしていて全く生気がない。
隣に座っていたエンジェルに
幾らかあげてよて言ったら嫌そうな顔して窓を数センチだけ開け小銭をポイッと渡す。
そして言われた。
「お金あげてもあの子供達の将来は何も変わりませんよ。」
あの言葉が全てを変えた。
今まで表面しか見ていなかった。
ただ可哀想だと思ったからお金をあげた
善意の裏返しは

「自己満足。ただそれだけ」だった

その場しのぎの小銭なんか何の役にもたたない。仮に大金だったとしても結局は何も変わらない。
彼等に一瞬の快楽と依存する性質を与えるだけ。
いつまでも彼等を自立させない施し。
表面上の「優しさ」なんて何の役にもたたない。
そして
スラムに生まれたら一生スラムで生きていく。そこから抜け出す事は出来ない。
悪環境でどんどん人が死んでいく。

そこにたまたま生まれたのは「運」が悪かった以外何でもない。
世の中はめちゃくちゃ不平等に出来ている。

日本人に生まれて来た事で
余りにも多い情報と選択肢の中で常に
惑わされている様な気がする。
スラムに生まれたら選択肢などない。
のしあがりたいなら
男はギャング。
女は売春婦。
だから
答えを突き詰めたら常にシンプル。
たまたまラッキーな日本人に生まれたと仮定したら。

「今、自分が出来る事を精一杯やるだけ」

バンダ島でお世話になった島民の多くの人は短命なのでもう死んでるかもしれないけど
日本に帰る日、
余りにも寂しくて涙が止まらくて、逃げる様にコッソリ島を出て来てしまった。
ウディンやバシールやハッサンに挨拶しとくべきだった。
それだけが悔やまれる。
正直もう2度と同じ経験はしたくない。
でもあの時に
「決断して行動した事で色んな経験を積めた」
事で今があると最近思う。

インドネシア編の原本は15年位前に書いていたのをアレンジして作り直してみました。

改めて読んでみたら
その時に経験した事が今でも自分の全ての元になっているとわかりました。
原則は不変だけど多分、経験して苦んで時間がたたないと自分のモノにならない

最後まで読んで頂き有り難うございます。また機会があれば書きます。
終わり。

 シンガポールで帰国の途に
indonesia_photo07